※この記事では、家族との日常の中で感じた成長や想いを綴っています。
私は若い頃はもっと鋭いものを心の奥に持っていた。
今でも本質は変わらないけど、少しは丸くなった、と思っている。
特に人の尊厳に関わることには敏感で、間違っている!と思うと、バサっ!と問答無用で切り捨てるところがあった、と思う。
だから、普段はのんびりしていても、怒ると怖い、と言われていた。
年齢を重ねて、んん?!って思うことがあっても、一旦飲み込んで、どうしてなのか、と相手に尋ねたり、時間を置いて考えたりするようになっている。
それでも、自分の要求を通そうとして、騒いだり、察してくれと試したり、何もしてくれない、と攻めかかってきたりするタイプの患者さんには、スイッチが入ってしまう。
そんなことではいつまで経っても、苦しいし、周りの家族は疲弊していくばかりだから、ダメなものはダメ、とわかってほしいという気持ちが強すぎて、絶対に負けないし、譲らない、と綱引きになってしまうことがある。
この価値観は子どもたちにも受け継がれているのだが、カタチが違うところがおもしろい。
私と取っ組み合いで育った娘は、私の強化版。
しかも、感情的なようでいて、事実を積み上げる理屈派でもある。
息子は、よくしなる竹みたい。
相手の言い分を聞いて、そうなんだーとうなづきはするが、境界は譲らない。
なるほどねー☺️でもね、ダメなんだよーぅ。
びよーーん。笑
調子狂っちゃう。
若さもあり、娘は信長タイプ。
鳴かぬなら、用はないぞ!ホトトギス。
私は少し丸くなって、秀吉タイプ。
鳴かないの?なんでだろ?おい、おい!
そして、息子は家康の変化球版とでも言おうか。
鳴きたくないのカナぁー?
私の看護は間違いではないけど、疲れる。そして、必ずしも、相手の心にヒットしない場合もあって、疲れただけで終わることもある。
そんな時、息子のことが頭に浮かんだ。
バイトでさぁー、頼んだ洗米してなかったから、あれ?洗米できてないよ?
って後輩くんに言ったら、やりました!って言うから
ん?できてないから、言ったんだよーぅ?ボタンは押したのかなぁー?☺️
って返した。という話を聞いて、なんとも言えない変な笑顔だったから、なあに、それえー!って娘と笑った。
できていないことは指摘する、だけど、責めてない。
やってないじゃないの!って責めたら、相手もわかってるけど、怒って返してくるかもしれない。結局、やってないことは事実で、次からやってくれればいいわけで。
相手を責めず、相手と戦わず、でも、伝えたいことは伝える。
なかなかの技だ、勉強になる。と思った。
思春期に、私が怒って息子に挑んだ時、
ああ、わかった、俺はお母さんが間違っていると思うけど、めんどくさいから謝るね、ごめんね、って言ったのと似てる。
相手と組み合わずして、終わりにする。
息子の意外な才能を見た。
ヘラヘラしているようで、芯がある…
こんなふうに、いつものストレートパンチはお休みにして、びょーーん!と構えてみるのもいいかもしれない。
私は今でも、つい真正面から向かってしまう。
だけど、強さにはいろいろな形があるのだろう。
娘のような強さもある。
私のような強さもある。
そして、息子のように、びょーーんとしなりながら境界を守る強さも。
どうやら我が家の「譲れないもの」は、同じ形では受け継がれなかったらしい。
それが少し面白くて、少し嬉しかった。
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