※この記事では、日常の中でふと感じたことや人生についての想いをエッセイとして書いています。
映画「怪物」に引き続き、学校が舞台の本作。実話に基づき制作されている。
※一部作品に触れています。
綾野剛さん演じる小学校の教師が、雨の中、薄暗い家を訪問する。態度は横柄で嫌な感じ。
座るや否や、
「息子さんは片付けられなくて、落ち着きもなくて、周りが迷惑しているんですよ。」
と言う。
確かに、子どもの周りは、少し散らかっている。
その後、信じられないような人種差別的発言が浴びせられる。
母親は、唖然として、
それは…どういう意味ですか?
と質問するのがやっと。
学校でも、血が出るまでの体罰や暴言の数々。
(なんなの、なんなのよ、この人!)
私は教師を恨み始めていた。
しかし…視聴者は教師視点からの景色を再生されると、次第に違和感を覚え始める。
え?これって…
次第に、母親の顔がのっぺりとした能面のようになっていき、目は見開かれているが、視点は定まっていない異様な表情になってきた。
父親は、表情を変えずに座っている。顔が真っ黒に日焼けして光っているのは、ゴルフ焼けなのだという。
この夫婦、どうなっているんだろう…
話し合いはしているのだろうか?何とも言えない違和感を感じる。
やがて、新聞や雑誌、テレビなどで報道され、連日批判が渦を巻いて吹き出した。
殺人教師、という呼び名までつけられて、社会的に瀕死の状態となっていく。
教師は被告となり、民事裁判が行われる。
そこで今までの暴言や暴行を母親は淡々と申し立てる。それに対する教師の言葉は…
「そこには、真実はひとつもありません。
すべて、母親とその息子による、でっちあげです。」
ざわつく法廷。
最初は、母親の目線で教師を憎んでいたのに、いつの間にか、自分が当事者の教師になったような感覚になっていったのはなぜなのだろう。
すでに保護者には、体罰をしていたと認めて、謝罪してしまっている。
教育委員会から処罰も受けてしまっている。
マスコミや世間は、完全に体罰をした、とんでもない教師として見ている。
まさに「四面楚歌」、これを覆して名誉を取り戻すことなど不可能に思えた。不安と絶望感が高まってゆく。
そんな中、一筋の光明が差し込んだ。弁護を引き受けてくれる人が現れたのだ。
「裁判は、「戦争」なんです。あなた次第です。」
と弁護士の先生は言った。
そう、孤立無援の最悪の状態から、教師は反旗を翻すことになる。
まさに、「戦争」と呼ぶにふさわしい、自分の名誉と社会生活を取り戻す真剣勝負であろう。
先生は、一つ一つ、「事実」を積み上げていった。
校長が「真実」だと思い込んでいたものは、事実を確認したものではなかった。訴えや診断書から作られた物語だったのである。
夫婦の表情は不気味なまでに変化が見られなかった。
この母親は、何が目的でこんなことをしたんだろう、そして、夫はどこまで知っているのだろう。
窺い知ることはできなかった。
子どもが「怖い!」と言って暴れるのを、大丈夫だから、そばにいるから、と慰めながら抱きしめるビデオが法廷に流れた。
命よりも大切な息子を自殺未遂にまで追い込んだ教師を、私は絶対に許しません。
真っ直ぐに裁判長を見つめて言い放つその瞳を見て、背筋が凍った。
この人は、嘘をついているのではない。この人の中で、真実となっているのではないか?と感じたからだ。
この映画の主題は、一つしかない事実が、立場や主観によって、少しずつ捻じ曲げられて、とんでもない「真実」が生まれてしまう危険性、そして、それを疑うこともしなくなる民衆の圧倒的な誤解の波の恐ろしさにあるのだと思う。
しかし、ここまでの執拗さや、自分の信じる物語の中に閉じ込められてしまったように見える母親の姿にも、私は恐怖を覚えた。
10年という歳月を経て、教育委員会はその処分を取り消したことで、教師の名誉はやっと回復することになった。
最後は希望の日々で終わっている。それが、観るものに救いを与える。
最後まで、母親の本当の意図がどこにあったのか、明らかになっていない。
ただ、私たちは、自分の目で「事実」を見て、判断することに責任を持たなければならない、ということを教えられた映画だった。

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