※この記事では、日常の中でふと感じたことや人生についての想いをエッセイとして書いています。
今朝のニュースで聞きなれない言葉を聞いた。
「AIにギュられるという言葉をご存知ですか?」
…え?なんだって?ギュ?
AIの発達によって、自分の仕事や役割、価値が奪われることを意味するインターネットスラング、だそうです。
SNSや就職活動中の若者の間でよく使われるのですって。

シンギュラリティ(技術的特異点)の「ギュ」の部分を縮めて、「られる」を組み合わせた造語なんだニャ。
テレビには、一生懸命に寿司を握る若者が映し出されていた。
こういった、現場の仕事に回帰する若者も増えているんですよ、と先生は言う。
なるほど、AIにお寿司は握れないし、できたとしても、そこに付加価値を加えられるのは人間だものね…
だけど、一流の調理師になるのって、大変なんだよね…と少年の頃から修行して鍋を投げつけられた、なんて言っていた祖父を思い出した。
同じように建設現場を希望する若者は、
「AIに取って代わられない仕事を探すと言うか…」
とインタビューに答えていた。
AIと対立する、とか、競争するという社会構造になっていくのだろうか?
と疑問が湧いた。
AIは疲れない、情報の処理は神業、情報の蓄積は人間の比ではないだろう。
だって、人間が作ったツールだもん。
そういう、人間には敵わない分野は任せて、私たちは得意なことをやったらいい、と思うんだけどな。つまり、分業。
例えば、新しいアイディアを思いついた、実現可能だろうか?と考えた時、さまざまなデータとか、ケースの想定が必要で、それを人がやろうとすると時間と労力がかかる。
そういう基礎的な仕事を任せて、一瞬で出揃ったものをそのまま使うのじゃなくて、最終的には人間が検討したり、決定したりする。
AIは膨大な情報を持っているけど、それが人間にとって心地よいものなのかどうかは、たぶんわからないと思うなぁ…
あと、美しすぎるものはつまらない。
私も文章を書いていて、誤字や脱字がないかAIに読んでもらうことがあるけど、こんなふうに書いたほうがいいです、なんて、書き換えられることがあってケンカする。笑
そこまで頼んでないんですけど。
これは、私の選んだ表現なんです、変えないでください😤とか言って。
わかりやすく、伝わりやすいのかもしれないけど、そこを修正してしまったら、私の作品ではなくなって一般化されてしまう。
写真だって、もっと上手く撮れるかもしれないけど、ちょっと曲がって、露出の足りないこの写真は私だけの作品。
もともと、デコボコのある人間の世界で、AIが取って代わるなんて、あるかな?
AIに脅威を感じている人もいれば、仕事で使って助かっている、とコメントする人もいた。
仕事を進める上で、良き相談相手なのだそう。
「意外な案を出してくれることがありますね、ちょっとそれは考えてみようかな、とか。笑」
AIを敵だ、と思うよりも、こうやって横に並んで仕事をするほうが楽しい。
最後に決めるのはワタシ。と操縦桿を握っていられれば、いいのかな、と思った。
デコボコと意外な発見が満ち溢れているこの世界のほうが、私は好き。
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この「AIと生きる」は、精神科ナースとして、そして一人の生活者として、AIとの距離感について考え続けたシリーズです。
▶ AIと生きる|精神科ナースが考えたこと【シリーズまとめ】
この記事では、全話を順番に読めるようにまとめています。
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