私の自転車愛の原点

※この記事では、日常の中でふと感じたことや人生についての想いをエッセイとして書いています。

自転車とは、夢のある乗り物だと思う。

走るよりも、楽に速く移動できる。しかも、座ったままで。

二輪車で走ろうなどと、いったい誰が考えついたのだろう。

今は、ヘルメットに膝当て、肘当てのフル装備で自転車に挑戦する姿がある。

でも、私が子どもの頃はスパルタだった。無防備な格好のまま、ある日突然補助輪を外されて、

「後ろを支えるから漕いでみろ」と言われる。

小学1年生、いや、もっと前だったか。

「前だけを見て! 思い切り漕いで! 後ろを見るな!」

そう叫びながら、母が自転車の荷台をつかんで走ってついてくる。

「お母さん! 絶対に離さないでよ!」

そう言いながら、必死の形相でフラフラとペダルを踏む。

「はい! そのまま、そのまま!!」

振り向くと、ついてきているはずの母がいない。

「あーー!!」

ガッシャーン!!

バランスを崩して、思い切り地面にたたきつけられ、膝から血がにじんだ。

ひどい! 持っててって言ったのに!

謝るのかと思いきや、母は

「あー、転んじゃったの」

という顔をして、

「走れてたじゃないの。もう少しだよ」

と言う。

グムムム……

こんな調子で、だいたい流血の末に自転車に乗れるようになって、自由を得るのだった。

補助輪のない自転車は軽い。急にお姉さんになった気分だ。少しの優越感を感じながら、ぐるぐると走ったものだ。

自転車やブランコは、自分が与えた動力で動く。それが、自分でコントロールしているという満足感につながっていて、私は好きだった。

小学生になって、母が突然、

「今日は利根川に行って遊ぶよ!」

と言い出した。夏休みだったかもしれない。

うちからは結構な距離がある。

母はママチャリに弟を乗せ、私は小輪の子ども用自転車、いとこたちは少し大きな自転車だった。

母はぐんぐん進む。私は、チャカチャカと必死についていくのがやっとだった。

母の車輪は大きいから、どんどん進むんだ、と後ろから眺めて気がついた。

小さな弟は、

「がんばれー!」

と楽しそうに後ろを振り返って笑っている。

おまえはいいよな……チャカチャカチャカ……

母は容赦なく軽快に漕いでいる。

漕いでも、漕いでも、距離は縮まらなかった。

少しは合わせてくれてもいいのに……。

でも、そういうところが母なのだ、ということも知っている。

みんなが休んでいるところに、ふうふう言いながらたどり着いた。

その日は、利根川の土手で、持ってきた段ボールの切れ端を使って、何度も草滑りをしては登ることを繰り返して遊んだ。

夕方に帰ると、伯母が

「どこまで行ってきたの……」

と呆れ顔だった。

とても疲れたけれど、こんなに自転車に乗ったのも、必死に漕いだのも、初めてだった。

今では笑い話になった、この夏の日の思い出が、今の私の自転車愛の源流なのかもしれない。

 

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