自己を丸ごと抱えながら生きていくこと

※この記事では、日常の中でふと感じたことや人生についての想いをエッセイとして書いています。

映画「君たちはどう生きるか」を題材にした、勉強会に出席しました。

実際に映画が上映されるわけではなく、このストーリーをどのように捉えるか、という講演でした。

先生はなんと6回も映画館に行ったそうで。

テーマは、「見えない悪意」

最初は、資料を見て、なんのこと??

ここで言う悪意とは、自分自身が持つ、嫌だな、とムッとする、もう関わりたくない、そんな、認めたくない感情のこと。

主人公の少年が学校でいじめられて、帰り道に石で自分の頭を傷つけるエピソードがある。

家に帰って、「どうしたの、誰にやられたの」と聞かれても、少年は黙っていた…

言いたくない時もあるし、自分を整理できない時もある。

傷ついた人を前に、私たちは、元気を出して、と言う前に、どうする…?

答えのない、深い問いに、私たちは、しばらく無言でそれぞれに考えていた。

自分なら、どうしてほしい?

大切な人が傷ついているとしたら?

どうにもできないつらさの前に何ができるだろう…

私たちは、こんなふうに、教科書には載っていない、人それぞれのケースに向かい合って、探りながら、接している。

正解はわからない。だけど、相手を真剣に考えている心が少しでも伝わったら。

そして、それは、今じゃなくてもいい…

悲しみに沈んだ心に、たった一滴の雫が染み込んで、静かに広がるように。

言葉をかけられない時もある。言葉がいらない時もある。

私は、看護師になりたての頃を思い出した。

免許を取って、いよいよ働くぞ!と意気込んで入職した総合病院。

努力しても、工夫しても、仕事をこなすことができなくて、叱られたり、呆れられたり、挨拶もしてもらえない日々が続いていた。

どうしよう、このままでは仕事を続けられない、生活が成り立たなくなってしまう…

でも、辞めるわけにはいかない…

相当追い込まれていた。

そんな時、友達が旅行に誘ってくれた。

子どもたちを連れて、車で長距離の旅行。

楽しく過ごしたい気持ちがあったけど、どうしても元気が出なかった。

友達は、そんな私の隣で、何も聞かず、ただ黙って運転してくれた。

私は黙って、車窓を眺めていた。

相手の苦しみを背負ってあげることはできないけれど。

ただ、そばにいてくれるだけで、癒せることがあるんだ…

あれは、慰めだったな。と何年も経って、仕事が軌道に乗ってから、ふっと、思い出すことがある。

映画の中で、喪失感のなか、塔の中に降りていくシーンがある。

自分たちには、現実から離れられる、この塔の地下のような場所やものがあるか、少し考えてみてください。

と問いかけられた。

現実の苦しみからかりそめに、離れられる、そして安心できるもの…

「俺はね、カラオケだな、シャウトするね」

隣のリョウくんが言った。

「ああ。なるほどね、そういうの大事だよね。」

私はやっぱり両親かな。この歳になっても、何か不安や迷ったりしている事があると、両親のところへ行って、話をする。解決しなくても、少し整理された気持ちでまた帰っていく。私のオアシス。

患者さんにも、自分を解放できるものがあればいいのにな。といつも思うけど、それは自分自身で見つけるもの、なんだよね。

現実世界と行ったり来たりする揺らぎの中で、少しずつ心が癒されていく。

そのプロセスは人それぞれに違う。

私たちの看護は、無理に引っ張り上げることでもない、だけど、こもりきっている人には、時々探りながら一緒に歩こうとする。その人の心の状態を推しはかるのがとても難しい。心の回復は、数値で測ることができないから…

映画の終盤。この塔の世界を穢れのない石(悪意のない石)で守っていってほしい、と少年は託されるが、自分でつけた頭の傷は、自身の「悪意の印」であると認め、引き受けることはなく、現実世界に帰ってきた。

現実世界は、確かに楽しくて美しいものもあるけれど、負も存在する。時に、そこから逃げ出したくなることもある。「悪意」のない、理想の世界に篭りたくなることもあるだろう。

そこで自分の「悪意」から目を逸らして、「なかったこと」にしても、悪意は消えることはない。

自分にも「悪意はある」と、負の部分も含めて自己を丸ごと認めて、それでも現実世界で生きていくこと、それは苦しいことかもしれない。

しかし、主人公はそれを受け入れて生きていくことを選んだ。

そこに、自分の人生を選び取って生きていくことの素晴らしさと責任を感じた。

精神科看護の勉強会のテーマとして、先生が伝えたかったこと

ー不完全な私たちで、明日も誰かのそばに立つ。

悪意は、消せない。

隠したままだと、支配になる。

認めた時、印になる。

印を持って、日常へ帰る。

私たちは、不完全であること、悪意を持っていると認めてみよう。

そこに立つことができたら、自分の感情から一歩引いて見つめ、次の行動を決めることができるだろう。

ここまで考えてきて、先生の言葉は、私たちへの励ましの言葉でもあるんだな、と気がついた。

看護師だからといって、いつも清潔でいられるわけではない。

悩んだり落ち込んだりする日があるけれど、私たちは不完全なのだから、と。

そして、隠さずに印を持って誰かと対峙しようとしている。

その努力を知っているよ、と言われた気がした。

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