看護師と「心の境界線」|患者さんの人生を背負わないということ

📖精神科病棟で看護師として働く中での気づきや学びを、個人や施設が特定されないよう十分に配慮しながら綴っています

私の尊敬する主任Mさんが、

この仕事は感情労働よ。と言う。

急性期病棟は特にそうだった。オムツなどの身体介助が少ないし、一見話を聞いているだけに見えるが、心が疲れる日が多い。

自分の感情をコントロールし、整えることができてこそ、看護ができる。このMさんの言葉は、私の中で今でも深く響いている。

いつも、看護の美しいところを伝えたいと思ってるけど、実際、私は観音様ではなく、未熟な人間なので、

ああ!疲れた!どうしてこんな気持ちにならなくちゃいけないの!

モヤっとしながら帰途につくこともある。

お酒飲んで忘れるという方法を持てない私は、どうするかというと、「どうして」という部分にコミットする。笑

自分の心の動き、行動を振り返って、どこが失敗だったのか、次はどうするべきかを考える。それが、私の癒しとなっていることが多い。

わからないから、モヤっとするのだ。そしてこんな思いは2度としたくない。

精神看護において、心の境界線を守ることってとても大切なことだと思っている。

ある患者さんが、生活リズムを整えることを目標に入院していた。

夜更かしが続き、昼夜逆転は改善しない。眠れないと相談してくる一方で、提案した方法には乗ってこない。

私は、思わず言ってしまった。

「それでいいの?このままの生活を続けるの?」

すると、

「いいじゃない、好きにさせてよ。」

そう返された。

私はこの患者さんの長い経過を見てきたし、周りの家族を含めたサポート側の人々が疲弊しているのも知っている。

自分の価値観や感情が乗ってしまっていた。

このままでいいのだろうか?と。

同僚とは、

「もう、いいじゃないの、本人が乗って来ないんだから。担当なの?」

「いや、担当じゃないんだけど…」

こんなやりとりが、いつも繰り返されている。

眠れないと言って何度も相談に来ていた彼女。なぜそれを投げ出すのか?

これまでも、入院しても「治療に乗ってこない」患者さんに距離を置くことに罪悪感のようなものを感じていた。

私はサボっているのではないだろうか、何もしていないのではないか。

見放してないか?

家に帰って、しばらく考えてたどり着いた。

私は患者さんの選択まで決めようとしていた。

「あなたのためだから」と言って、相手のケーキを取って食べるCMを思い出した。

ケーキを取られてしまった人の驚いた顔と、いいことをしてる、という満足げな相手の人の顔。

太ってしまうから、このケーキは食べないほうがいいのよ、私が引き取ってあげるわね。あなたのためよ。

一見、優しそうに見えるこの行動。余計なお世話である。笑

太るかもしれないけど、食べる。その後、運動するかもしれない。今日はやめておく。そんな選択は、当事者がするべきものだ。

今の生活を注意することも、先回りしてアドバイスすることも、私の仕事じゃない。

彼女の課題を背負うことは、看護ではない。

必要な情報や、選択肢は示していく。選び取るのは、本人。

相手の行動を尊重して、援助が必要なときには適切に対応する。これは、見放すことでも、サボることでもない。

という新しい境地に至った。

少し、心がスッと軽くなった気がした。

だけど、これからも私はモヤっとして、振り返って、を繰り返しながら看護していくんだろうな、とも思っている。観音様にはなれないから。

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