※この記事では、日常の中でふと感じたことや人生についての想いをエッセイとして書いています。
私は「お姉ちゃんでしょ」という言葉が昔から好きじゃない。
「お姉ちゃん」だから何だって言うんだ?と思ってしまう。
弟と年齢は違うけど、子どもであることは変わらないはずなのに。
なぜ、我慢して譲る側と、譲られる側に分けられねばならないのだ?
こんなことを言うと、わからずやとか、屁理屈こねる、とか、やかましく言われるので黙っていた。
だが、長年の「お姉ちゃん」という立ち位置が少なからず、私に影響していると思っている。
娘が休みで暇だから、と夕方に来ると言う。雨が降っていた。
うちから車で30分ほど。
雨だし、迎えに行ってあげたほうがいいのかな。
という考えがチラッと浮かんだ。
娘も期待していたかもしれない。
でも、飲み込んで
電車の方が速いよね、と言った。
結局、私は最寄り駅まで迎えに出た。
この一連のことは、人にとってはなんでもないことだろう、と思った。
でも、私の中では、チクリと罪悪感が残っていた。
親切ではなかったかな、雨が降っているのに。と
なんとなく、おもしろくない
先日、息子から内定式の航空券を取ってくれと頼まれていた。
もちろん、息子は学生でカードもないし、大きなお金を一度に出せないから頼ってくるのは当然。
なんだけど、取っておいてくれ、って軽く頼まれるのが、なんとなく、おもしろくない。
この気持ちは何なのだろうか。
娘が車に乗り込んでくると、なんか生乾き臭がぷん、とした。
「ん?ねぇ、なんか、臭いよ、生乾きの臭い。」
「えー?私?あ!ホントだ、ズボンが臭いな!
どうしよう、明日、出勤でこれしか服がないもん。」
…どうしよう、と言われると、いつもの癖でものすごい勢いで解決方法を探してしまう。
「うーん、じゃあ、洗って、コインランドリーで乾かしたらいいよ、雨だから。」
「そだね!」
と娘は言ったけど、夕飯を食べてうとうとし始めた。
22時。
あーもう、どうするんだろう。
ヤキモキし始めた。
仕方がない、コインランドリーで洗って乾かしている間に、ジムのお風呂に行って、回収してこよう。
そう思って、家を出た。
歩きながら、何となく不服を感じていた。
娘の態度はいつも通りだし、別に押し付けられたわけでもない。ただ、どうしよう、と言っただけ。
自分で行けばいいじゃない、大人なんだから。って思ってるのに、言えなくて、
言ったとしても、結局、「冷たかったかな、意地悪しちゃったかな」って後で気にしてしまう自分。
何だかんだと、人の面倒を見続けてしまう、いつも自分を後ろに下げてしまう癖が抜けてないではないか…
自分に腹が立った。しとしと雨は降っている。
23時過ぎに帰ると、
「あぁ、ありがとう、行ってくれたんだ。」
「うん」
いつもならこれで終わりなんだけど、沸々と湧いてくるものがあった。
「あのさ。洗濯と乾燥で1100円かかったんだよね。私の洗濯物も入ってたから、500円でいいから、払ってちょうだい。」
と一気に言った。
「うん、わかった。」
私の内なる興奮を知ってか知らずか、平然と娘は答えた。
私はこの言葉を言うまで、葛藤していた。たかが、コインランドリー代を、自分の洗濯物も入れたのに、親が子どもに請求なんてするだろうか。
母が聞いたら呆れて、「あんた、お母さんでしょう?」って言うだろうな。
だけど。さっき感じた自己嫌悪は置き去りにするのか?何も変わらない。
自分の境界線を、曖昧にしてきたのは自分自身ではないだろうか。
じゃあ、母が雨の中、私のために深夜にコインランドリーに行ってくれたとしたらどうだろうか?当たり前じゃないよね。
500円の反旗
翌朝も雨が降っていた。
「ねぇ、ママ。車貸してくれない?使わないでしょう?」
と言われた。いつもなら、貸してあげると言うかもしれない。
しかし、今日は、断った。
確かにその日は使わない。だけど、万が一事故でもあれば、娘の身体も心配だし、車のことだってある。人に車を貸すことそのものに、私は抵抗があるのだ。
「え!何でよ!ガソリン代だって払うし、ママは何も損しないじゃん!そんなの、意地悪じゃない!」
「もし事故でもあったら……」と理由を説明しても、「そんなの架空の話じゃん!なんでそれで貸さないの?」と、しばらく押し問答になった。
「だから、なんでって、さっきから言ってるじゃん。」
私も今回は引かなかった。
私はスパゲッティじゃない
娘は突然、私に境界線を引かれたことに猛烈に反発した。
いつも譲ってくれるママが、なんだか違う、と感じていたのかもしれない。
私はふと、自分が都合よくシェアされている、大皿のスパゲッティのようだ、と思った。
もちろん、みんなに悪意はない。
私がずっと、時間や労力を差し出してきたから、当たり前のことになっていた。
これは、私自身が許してきたことなのだ。
迎えに来て、と言われれば行くし、お金を貸してほしいと言われたら貸してきた。
でもこれからは、私の時間や労力は、私の意思のもとで差し出したいと思う。
これは断じて意地悪ではないのだ。小さな反旗なのだ。ガソリン代が惜しくて言ってるんじゃないのだ。
私の小さな決意を娘は知る由もないのであった。
今まで、譲るとか、差し出すことって愛情の一部だと思っていた。
でも、相手を大切にすること=なんでも受け入れること、ではないのだということに今更気がついた。
相手を大切にしたいという愛情はもちろん持っているけれど、それは、自分を後ろに下げてまで示さなくてはいけないことではないと思う。
自分の気持ちにも素直に向き合って、嫌なものは嫌、できないものはできない、それでも、愛情は薄れていないし、関係も続けていける。そんな親子関係を作っていきたい。
親子の小さな陣取り合戦を感じたのか、愛猫ごま助は夜は娘のベッド、明け方は私の枕元にそれぞれ寝ていました。
「困ったヤツらだな…」とでも言っているようでした。
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思ったことを伝えたら、嫌われてしまうのではないか。関係が壊れてしまうのではないか。それでも、本音を伝えたあとに「関係は終わらなかった」という経験が、人を少しずつ癒やしていくことがあります。

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