順調ではなかった、看護師としての最初の一歩|私の再出発ノート

※この記事では、日常の中でふと感じたことや人生についての想いをエッセイとして書いています。

波乱の看護学校生活を無事に終えて、奨学金をもらっていた総合病院へ入職することになりました。

希望に燃えて看護師としてスタートした私でしたが、大きな壁にぶつかることになるのです。

のんびり屋だった私と、母との記憶

私は小さい頃から、のんびり屋でした。授業は真面目に聞いているのですが、理解するまでに時間がかかるので、母がいつもヤキモキしていました。

小学1年生の授業参観で、私が時計を読めないことがわかった母は、その日遅くまで時計の読み方をわかるまでマンツーマンで教えるのです。

算数セットの時計を見るたびにこの夜のことを、ほろ苦く思い出します。

そう、夜までかかったのです。

「アイちゃん、これは何時?何時何分?どうしてわかんないのかな。」

数字が並んでいて、短い針が3を指しているから、3時。はわかるけれど、

1のところをなぜ、「5」分というのか?わからない・・・

何度かのやり取りの後に、

「だって。1なのに、5っておかしいもん。」

絞り出すように言うと、母は、時計の小さなメモリを一つづつ指差しながら、

「ほら、数えてごらん、1、2、3、4、5。12から1までの間に、5個メモリがあるでしょ?だから、長い針はこのメモリを読んで、5分て言うのよ。」

あーーー。そうだったのか、なぁんだ・・・。

スゥーと心のつかえが取れて、晴れ晴れとわかった。

翌日、時計のテストで100点を取って、大喜びで母に見せたものだ。

「もう、わかんないよ!もう、いいよ!!」

匙を投げようとする私を、母はいつも逃さなかった。

厳しいけど、わかるまで諦めないで付き合ってくれた。

今思うと、この成功体験が私の底辺にあるんだな、と思う。

私は、時間はかかるけれど、人より努力すれば必ずわかるようになるんだ。

という自己肯定感を育ててくれたのは母なのだ。

総合病院で直面した現実

入職して、この「自分がわからないことはできない」というこだわりは、総合病院ではマイナスに働いた。

もちろん、わかっていることが看護師には必須の条件。

しかし、臨床では即戦力が求められる。

ポイントを押さえて、どうしてこうするのかを理解して、細かいところは後から勉強して、とにかく技術を間違いなく行える技術力を身につけなければ、働くことはできない。

全てを理解したい気持ちは間違いではなかったけれど、生き馬の目をぬくような忙しさの中では、先輩の足を引っ張ることになっていった。

物覚えの悪い、歳をとった新人ナース。

困りますよね・・・

目の回るような毎日と、追いつけなかった現実

毎日、違う患者さんを7人受け持ち、就業開始前に情報を自分で取り、点滴を人数分受け取って、ミキシング(薬剤を混ぜる)。

挨拶をしながら、バイタル測定、ケア、記録。

針や点滴の交換、速度調整、検査がある人はその準備として着替えを手伝い、時間になる前に検査室へ移送、お迎え。

状態に変化があればリーダーに報告し、新しい指示を受け、処置の準備と介助。

時には、ベッド上で洗髪したり、寝たきりの方の入浴の介助を一人で行うこともあります。

とにかく、目の回る忙しさの中で、ナースコールに応じなければならず、新しい仕事が舞い込んできます。

私には、新しい技術を理解し、マスターすることと同時に、患者さんの観察や記録をすることがどうしてもできませんでした。

努力すればいつかできると信じていたけれど・・・

退職という選択と、その後

それでも、生活がかかっていたし、奨学金も借りているので、簡単にやめたくなかった。

私なりに、他の看護師の手伝いをしたり、助手さんと患者さんの清潔ケアに回ったりと頑張っていましたが、10ヶ月過ぎて他を探したほうがいいと促され、残念ながら退職することになりました。

当時が一番つらい時期だったと思います。

その後、100床ほどの地方病院へ転職。ここで忙しさの中、採血や処置の経験を積むことができました。

つらいこともたくさんありましたし、叱られることもありましたけれど、ここで覚えた技術を持って、今の病院に縁あって入職することになったのです。

今の私と、見つけた居場所

今は急性期病棟で働いていますが、内科よりもゆっくりと話をしたり、観察したりする時間を取ることができます。

看護学校の頃、先生に叩き込まれた「全人的理解」をするために、家族構成や生育歴などを細かく情報収集し、個別性のある看護計画をじっくりと考えることができます。

同じ疾患でも経過は様々で、対応に困ることも多いですが、チームで相談できる雰囲気が整っています。

私にとって、考える時間、理解する時間をしっかり取れること、わかった上で計画を立てて、じっくりと看護することができる精神科病棟は、まさに求めていた環境でした。

環境は、必ずどこかにある

探せば必ず、自分に合った環境を見つけることができます。

まさに、捨てる神あれば拾う神あり。

私の周りにも悩んでいた人がいましたが、今は施設ナースとして生き生きと働いています。

「お年寄りのお世話をするのって大好きだし、おむつ交換も、介護士の方が助かるって喜んでくれるの。」

と、笑顔で語ってくれました。

それぞれの環境で精一杯働けて、「ありがとう」と言ってもらえる。

こんな嬉しいことはありません。

🍃 このブログについて

子育て卒業後の“自分らしい毎日”をテーマに、看護・家族・猫・ポタリングなど、日々の小さな挑戦と気づきを綴っています。

どうぞ、ほっと一息つきながらご覧くださいね☕️

🩺 カテゴリー:看護学校体験記「私の再出発ノート」シリーズ

40代で看護学校に通い、看護師として再出発するまでの実体験をまとめています。

迷いや不安を抱えながらも、一歩を踏み出す勇気を描いたシリーズです。

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