※この記事では、看護学校時代の体験や再出発の歩みを通して、学びや心の変化について綴っています。
看護学校に入学した当初、娘は、中学2年、息子は小学4年生でした。
離婚して実家のある町へ引っ越して、1年が経っていました。
母の提案もあり、同居はせずに、私達は実家から歩いてすぐの格安物件を借りて、母子のトライアングル生活。
2人とも幸にして、新しい環境で友達に恵まれて、楽しく過ごしてくれていました。
そんな春に入学が決まり、私は退職して学生の身分になりました。
娘は部活や勉強で忙しくしていましたが、息子はまだ小学生。学童に行っていましたが、当時の学童が荒れていて、小さな暴力事件もあったことから、本人がじーじの家に帰りたい。と言うので、放課後は私が帰るまで、実家で過ごしていました。
当時の父は、なぜか息子には厳しめの対応でした。しっかり育てないと、という気持ちなのか、昭和の男気質なのか。
ただいま!
帰ってくると、うむ。おかえり。
傾いた日差しの中で、電気をつけて新聞を読んでいる。
じーじの様子を横目にサッと洗面所に行って手を洗おうとして、洗面所の電気と間違えて、じーじのいるリビングの電気を消してしまったことがあって、
「んん?!」
すっごく気まずくてさー!
と息子がかなり大きくなってから言ってました。光景が目に浮かぶ…
私も何を隠そう、父との2人きりの時間が緊張の時間だったからだ。
必ず子どもからおはようございます、と挨拶をする、お帰りなさい、行ってらっしゃいと言っても、父は、
うむ。しか言わない。
口数は少ないけど、大事な相談をした時には、じっくり話を聞いてくれて、応えてくれる。
信頼は厚いけど、ちょっと、とっつきにくい人だったのだ。今は好々爺ですが。
そんな緊張感のある放課後の時間も、少しずつ慣れてきて、和菓子を食べながら大相撲を一緒に見て、
今のはないよねー!とか盛り上がったりして。
息子は小学4年から中学生までの多感な時期を、私の両親と過ごしました。
私は親として、行事に参加したり、面談に行ったり、試合を見に行ったりしていましたが、なんと言っても、毎日の帰宅した時のおかえり、と表情や態度の変化を観察して適度に声をかけてくれた母の応援がなければ、安心して学生生活を送れなかったと思います。
もちろん、夕食を囲んで、その日の出来事を聞いていましたが、つらかった日やつまらなかった日は、鮮度が命、気持ちを解放したいときに耳を傾けてくれる存在は、必要なんですよね。
海洋生物の研究のために四国の大学を選んだ時も、両親はとても喜んでくれました。
今でも、息子の中には、緊張感は少し残っているらしく、息子の顔を見に、両親と娘と一緒に四国へ行った時、お店が混んでいて
ジィジ、怒ってない?
俺、他の店も見てくるよ!
と郷土料理を食べてもらおうと、駆け回ってくれました。
優しい孫息子です。
当時の息子は、宿題をやってないのに遊びに行こうとして母に叱られたり、娘は、塾に行きたくない、眠い、と言って、母にクッションでお尻を叩かれたり笑、
忙しい毎日でした。
そんな毎日があったからこそ、普通よりちょっと距離の近い間柄になった孫達。
今では、両親を大切にしてくれる子どもたちを見る私も、とても幸せな気持ちになります。
看護学校の仲間たちにも助けられました。長期休みには家族同伴の団体で旅行に行ったり、ご飯を食べに行ったり、練習や勉強会にも受け入れてくれました。
こうして、子どもたちの貴重な時間を我慢だけではなく、楽しい思い出で彩ってくれた仲間たちに改めて感謝しています。
あの頃は、とにかく人生の舵を大きく切って、前だけを見て必死に走り続けることを最優先にしていました。
でも、振り返ると、たくさんの温かい手に支えられていました。
もし、人生の再出発を前に不安になっている人がいたら、全部1人で背負わなくても大丈夫だよ、という言葉をそっと伝えられたらいいな、と思っています。
🍃 このブログについて
子育て卒業後の“自分らしい毎日”をテーマに、看護・家族・猫・ポタリングなど、日々の小さな挑戦と気づきを綴っています。
どうぞ、ほっと一息つきながらご覧くださいね☕️
🩺 カテゴリー:看護学校体験記「私の再出発ノート」シリーズ
40代で看護学校に通い、看護師として再出発するまでの実体験をまとめています。
迷いや不安を抱えながらも、一歩を踏み出す勇気を描いたシリーズです。
今日も読んでいただきまして、本当にありがとうございます。コメントをいただけたら嬉しいです。コメント欄は下にあります。🐈⬛🐈⬛


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