※この記事では、家族との日常の中で感じた成長や想いを綴っています。
母になって変わったことは、自分以外の人間のために生きるということ。
昨日までお腹の中にいて、黙って?ついてきていた、この小さな人間が、おぎゃあと生まれた瞬間から、自己主張を始めて否が応でもお世話を余儀なくされる。
泣くだけの赤ちゃんに、おむつ、ミルク、抱っこ、考えつくことを片っ端からやってみて、
あー、なんだ、お腹すいてたのかぁ!
なんて、少しずつわかりあっていく。
しばらくすると、ふとした瞬間に、にこ!っと微笑んでくれる時がある。
おばあちゃんが、うぶすな笑いっていうんだよ、と教えてくれた。
まだ、なにもわからないのに、抱っこする新米ママの私に、微笑みかける天使ちゃん。
ハマらない人っているんでしょうかね?
そんな、おとなしい天使だった娘は、成長するにつれ、ジャイアンみたいになってきた。
気に入らないと、どこでも、大声で騒いで泣く。そして、ところかまわず転がる。
どこでも。
公園で遊んでいて、お昼だから帰ろうと言うと、イヤだぁーーーー!!!と突然怒り出して、砂場に突っ伏して頭から砂を被って「砂かけババァ」状態。
スーパーへ行けば、手を振り払って秒で走り去り、
「ど」と大書してある男豆腐なるものをどうしても買ってくれ!
といって泣いて床に転がる。
季節外れのパックされたとうもろこしを、なんとしてでも買うと言って怒る。
トトロにはまっていたから…
娘なりに、理由があったのかもしれないが、若い私には余裕がなくて、
この泣き喚きをどうにかやめさせたい、
騒いだら、思い通りになった、という方程式を成立させたくない。
と、こちらも必死になっていた。
まず、説得を試みるも、失敗。
まったく話を聞かないで泣き叫んでいる。
周りの人が気の毒そうにこちらをチラチラ見ている。
うわ、うわ、うわああ!
ひー!
うあー!
まったく正気の沙汰とは思えない。
本人も泣きすぎてちょっと呼吸がヘンになってる。
育児書を買って読む。
優しく抱きしめてみましょう、か。
うんうん。
ね?泣かないで?
抱きしめると、振り払ってイナバウアー、床に頭をぶつける。
マニュアルどおりに行けば悩んだりしない。
育児書は、うちのジャイアンには通用しなかった。
母に相談すると、もっと悪い。
「あなたはそういうこと、しなかったわよ? 育て方じゃないの?」
さらに落ち込む。
結局、私が編み出したのは、
泣き叫ぶ娘を抱えて、人のいない静かなところへ連れて行って、
しばらく泣いているのを観察すること、であった。
一言で言えば、簡単だけど、これが至難の業。
釣り上げた鯛みたいに全力で抵抗する我が娘を横抱きにして、
気の毒そうな視線を浴びながら、階段下に行くのだ。
しばらく大声で怒って泣いている。
わあああ!!
視線がないだけ、救われる。
好きなだけやればいいさ。
私は側に座って、じっと泣き止むのを待っていた。
ふと、自分はなんで泣いているのだろう?
と気がつくのか、嗚咽になってきた頃に話しかける。
どうしたの。
うう、おう。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、
ポツポツと何が気に入らなかったのか、話せるようになった。
理由はいろいろあった。
初めて見たから食べてみたかった、とか。
みんなで楽しく遊んでいて、帰りの時間だって言われて、楽しい時間が終わってしまうのが嫌だった、とか。
友達が帰ってしまうのが嫌だった、とか。
聞いてみれば、そうだったのか、とわかることでも、
私は、なんとか言うことを聞かせようと必死になって、
そうすると、娘も必死に抵抗する、のループだったのか。
ここまで来るのに、
試行錯誤の連続で1年くらいはかかったと思う。
自分時間で生きてきた若い頃の私。
それが、突然、娘という存在が新しい体験を教えてくれた。
自分の感情をコントロールするのが、まだ稚拙で、言葉も十分に揃えられない小さな女の子。
時間と心にゆとりがあったら、
娘時間で行動していたら、
こんなにキレること、なかったんだね。
これは、私たち親子がとっくみあって紡いだオリジナル。
この時間があったから、
今の私と娘の関係性がある。
そして、この体験が、今の仕事にも活かされている。
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私のブログでは、子育て卒業後の”自分らしい毎日”をテーマに、看護・家族・猫・ポタリングなど、日々の小さな挑戦と気づきを綴っています。
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