※この記事では、看護学校時代の体験や再出発の歩みを通して、学びや心の変化について綴っています。
あの入学式の約束
社会人組全員で卒業しよう!と誓った入学式。
でも、現実は厳しかった。
教えてくれない授業の意味がわからなくて焦りを感じたり、実習室を使わせてくれない通達などの出来事を経て、ゴールデンウィーク明けには、シングル仲間のひとりが退学した。
「こんなところでやっていけない。お金と時間がもったいない。」
彼女はそう言って来なくなった。
別の看護学校に入り直して、私たちより一年遅く看護師になった。
どんな道でもいいと思う。
だけど、バイバイってあっさり手を振って自転車で去っていった後ろ姿が、今も忘れられない。
私も、学校の体制に不安を抱えていた。
経済的にもギリギリだった。
思えば、私のような選択肢のない選択をした人が最後まで残ろうと必死だった。
それぞれが追い込まれていった日々
もう1人のシングル、メグちゃんは、大雑把に見えて、実は繊細な部分もある。
でもそれは、深くつきあってみないと見えない部分。
体も声も大きくて元気だから、この人は大丈夫。
きっと、そう思われてしまったのだと思う。
実習は、5人のグループに分けられ、基礎実習から始まり、小児、成人、老年期、周産期、急性期、回復期、精神と、休む暇なく続いていく。
やっぱり、ここでも私たち社会人組は見事にバラバラ。2年生から3年生の冬に実習が終わるまでは、ほとんど会えない日々が続いた。孤独との戦いでもあった。
患者さんを受け持ち、看護計画を立て、記録を書き、次の実習へ。
立ち止まることが許されないまま、次へ次へと進んでいく日々だった。
実際の患者さんと向き合いながら、自分の関わりがどんな意味を持っていたのか、次に何が必要だったのかを、正解のないまま考え続けなければならなかった。
やりたいことをやる、ではなく、目標に向かって実践し、その結果を振り返る。
当時はそれが何を意味しているのかもわからず、徹夜することもしばしばだった。
電話の向こうの声
2クール目の実習に入っていた朝、メグちゃんから電話がかかってきた。
「アイちゃん? 私、もうダメだ。もう行けない」
班が違って、しばらく会えていなかった。
「え?どうしたの」
「…もう行けない、私、やめるわ。」
実習に向かう途中で、詳しく話を聞く時間もなく、
とにかく体だけ向かえばなんとかなるから来て、と必死に繰り返した。
でも、すでにメグちゃんの精神状態は極限に達していた。
「どうしても、行けない…。ごめん」
その声のトーンで、すべてを悟った。
彼女についていた先生は、厳しいというより、極端に細かいところまで指摘する人だった。
実習記録は全て手書きである。
A3にびっしりと、患者さんの分析を何枚も書かねばならない。
メグちゃんは何日も徹夜していて疲労困憊、細かい指摘が何度も重ねられ、その度に消しゴムで全部消して書き直して…
「メグは、あれで結構、細かいところを譲れないところがあるからね…」
あとでリョウくんが言っていた。
根が真面目で、子どもを抱えていて、絶対に単位を落としたくないという切実な気持ちが、自分を追い詰めていった。孤独もあったと思う。
互いにギリギリの状態で走り続けていた。
支え合うことができない毎日の中、私は仲間をひとり、失った。
彼女は退学してしまったけれど、時間をかけて回復し、今は介護士として働いている。
仕事はきついけれど、頼りにされ、明るさを取り戻していると聞いて、ほっとしている。
私たちは、それぞれに実習をこなしながら、
国家試験の勉強も同時並行で進めなければならなかった。
苦しい毎日が、続いていた。
🍃 このブログについて
子育て卒業後の“自分らしい毎日”をテーマに、看護・家族・猫・ポタリングなど、日々の小さな挑戦と気づきを綴っています。
どうぞ、ほっと一息つきながらご覧くださいね☕️
🩺 カテゴリー:看護学校体験記「私の再出発ノート」シリーズ
40代で看護学校に通い、看護師として再出発するまでの実体験をまとめています。
迷いや不安を抱えながらも、一歩を踏み出す勇気を描いたシリーズです。
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