私の再出発ノート⑧看護学校体験記|危機に備える

勇気のひとしずくをあなたへ

看護、子育て、趣味、旅・・私の日常から、あなたの未来につながるヒントを届けます。

看護とは何か、を問われた日

「看護とは何か、言いなさい!」

先生の言葉が響いた。

…。

看護学校の職員室で私は、怒りに震えて立っていた。

先生を納得させるような言葉が出てこない。

学校一の気難しい先生で、絶対に譲歩しない。ありきたりの言葉を言っても鼻で笑われるだけだ。

理不尽な通達と、連座制の学校

技術試験を数週間後に控えているのに、突如

「練習室を使わせない」と通達が来たのだ。

理由は、上級生が学校の体温計を誤って破損したことから始まった。

なぜ、こういうことが起きたのか、クラス全員で話し合うように、それまでは使わせない。

うちの学校は、いつも連座制だ。誰かが問題を起こせば、全員の責任。個人の遅刻であっても、遅刻させない方法をみんなで考えて報告せよ、となる。

入学当初、私は今よりもずっと個人主義だったと思う。勉強できないのも、単位落とすのも、個人の責任で、私には関係ないと思っていた。

でも、そんな個人主義はこの治外法権のような世界では通用しないのである。

技術試験直前、それでも練習は必要だった

薄々ルールをわかってきてはいたが、上級生のミスまで被ることはできない。

ましてや、技術試験を落とせば、脱落なのだから、こちらも必死だ。

看護学校は一年目は解剖学、病理学などの座学、ベッドメイキングや清拭などの看護技術が中心である。

練習室には病院用のベッドやお湯を用意するピッチャー、人体模型などの器材が揃っている。

なんとしても、練習室の開放を訴えに行った、というわけなのだ。

案の定、練習したいと訴えたが、許可は降りなかった。周りの先生は聞こえないふりを決めこんでいた。

なぜ、こんな理不尽なことが…。

練習させないってことがあるだろうか?

公民館で始まった、秘密の練習

先輩たちは話し合いはしているが、先生を納得させるには、まだ時間がかかる。

悶々として教室に帰ると、どんよりした空気が流れていた。

「帰ろう…しかたがないよ。」

誰からともなく、失意の中、肩を落として教室を後にした。

私はまだ怒りに燃えていた。

納得できない。練習させないなんて、ありえない。

帰り道、「練習はできるよ。」

と言う者が現れた。

社会人組の男子、アッシーだった。

「どうやってさ?説得できそうもないじゃない」

「別に、練習室を使うことないよ、俺が公民館予約しておくから、後で集合しよう。」

こともなげにそう言って、こうつけ足した。

「その前にやらないといけないことがあるけど…」

全身清拭という難関技術

学校の清拭の試験は、浴衣を着た人の全身清拭を行う。

羞恥心に配慮するため、露出は最小限に拭くところ以外は、浴衣や布団で覆っておかねばならない。

また、臥床したまま、体力を極力使わせずに安楽に行うのが基本であり、寝ている人に浴衣を着せるのはなかなかコツのいる作業。

これをお湯が冷める前に手早くおこなうなど、制約がたくさんある。

有志が公民館に集合した。

学費を自分で負担している社会人組は全員参加した。

私たちは先生の目を盗み、浴衣を拝借、

洗面器やタオルは持参だ。

長机を2つ使ってベットに見立て、学校で拝借してきた浴衣を着て、硬くて冷たいテーブルに横になる。

 寝たままスムーズに浴衣を着せるにはどうしたらいいか、腰の帯はいつ入れるか、お湯の温度は…

 話し合い、実践しては、話し合う

先生には内緒で、学校ではおとなしく過ごし、放課後は公民館に集合。子供がいる人は、子どもも連れてきて練習を重ねた。

試験当日と、その結果

試験当日。気の毒そうに私たちのやりとりを職員室で聞いていた先生が、私の試験官だった。

「ずいぶん練習したんでしょう?とても上手になっているわ…」

驚いた顔をしていた。

のちに、「あの日、がんばれ、と思っていた」と言われたが、援護してくれなければ意味がないではないか・・

練習組は1人を残して合格した。

1人は練習を阻んだ先生が監督で、細かいミスも見逃さない人だ。惜しくも落としたが、翌年合格した。

「あの時、ホントに辞めたいと思ったよ。」と後で振り返って言っていたことがあった。

ちなみに、その時の彼は、今、私の1番の同志で助け合いながら働いている。

私たちは「戦友」になった

いつ、何時、無理難題を言われるかわからない、戦々恐々とする学生生活が、私たちのチームワークを強固なものにした。

それが先生の狙いだった、とは思えないのだが…

こんなに助け合った仲間や時間はないだろう、と今でも同級生で笑うことがある。

私たちはただの同級生でも友人でもない。3年間を戦い抜いた戦友、なのだ。

危機に備えるということ

看護学校で学んだのは、技術だけではない。理不尽な状況の中で、どう動き、どう助け合うか。

あの時間と仲間は、今も私の看護の土台になっている。

🍃 このブログについて

子育て卒業後の“自分らしい毎日”をテーマに、看護・家族・猫・ポタリングなど、日々の小さな挑戦と気づきを綴っています。

どうぞ、ほっと一息つきながらご覧くださいね☕️

🩺 カテゴリー:看護学校体験記「私の再出発ノート」シリーズ

40代で看護学校に通い、看護師として再出発するまでの実体験をまとめています。

迷いや不安を抱えながらも、一歩を踏み出す勇気を描いたシリーズです。

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