それぞれの理由で始まった看護学校
私の看護学校は、1クラスのみ40人でスタートした。
そのうち15名が社会人経験者、そのほかは現役世代の18歳。
入学早々、自己紹介を兼ねて、なぜ看護学校に来たかを一人ずつ発表する機会があったが、現役の子は、親が看護師だから、とか、親に言われたから、という理由が多かった。
先月まで高校生で、楽しく生活してきた子達が、入学式からお辞儀の仕方が悪いとか、全体責任とか言われて帰れない、なんてことが続き、嫌になるのは当然と言えば当然なのかもしれない。
ゴールデンウィークや夏休み明けには、学校を辞める子が増えた。
やりたいことがあるから、と。
そうだよね、って思った。
いくらでも別の道はあるし、学費は親が払っているのだから。
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減っていくクラスメイト
一列分くらい、夏までに退学した。
それでも、なんとか泳ぎ切って、卒業した強者もいる。
看護学校では、5人グループで調べて発表をする、グループワーク形式の授業がある。メンバーは先生が決める。
社会人組は、仕事をしてきた経験があるから、仕事が早いし、納期?も守る。
だから、できれば社会人組でチャチャっとやってしまいたいところだが、先生はよく見ている。
うまいように、社会人はバラバラに配置されている。
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グループワークで起きた一波乱
いつもは温厚なメグちゃんの怒った声が聞こえてきた。
だったら、なんで最初に言わないの!!
そんなの、ズルいじゃない!
時間がもったいないので、発表内容について、それぞれが次に集まるときまでに考えてくる約束だったのだが、それさえ守らない子がいた。
しかたなく、他のメンバーが考えてきたお題の中から決め、各自が分担して調べて合わせようと約束した。
そして1週間後に集まると……
やってません。
どうして?
どうしてやってこないの?
決めたよね?
……ホントは、そんなお題でやりたくなかった。
ふてくされた態度で、ボソッと言った。
ええ⁉️
みんな、唖然としていた。
そして、あの冒頭のセリフが出てしまったのだった。
その子は結局、発表当日に原稿を読む係をやっただけで、みんなと同じ評価を受けて単位を取得した。
そして、低空飛行で成績を取り、卒業した。
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それでも、今なら思うこと
今では、あの時のことを思い出すと、みんなで笑ってしまう。
学生から離れて人の親になり、しばらくこんなに声を荒げて人に腹を立てたり、怒って文句を言ったりしただろうか。
学生に戻ると、年齢に関係なく「学生気分」に戻ってしまうものらしい。
親子ほども違う歳の差があっても、毎日の授業やテスト、課題をこなすのに必死だったあの頃は、心に余裕を持つことができなかったのだと思う。
座学や看護技術の練習といった、看護学生本来の課題に加え、毎日のように問題が起こっていた。
私たちは問題が起こるたび、話し合ってなんとか打開しようと必死になっていたけれど、問題の子は、学校で問題を起こさず淡々と生活して、言葉は悪いけれど、私たちが踏んだ後の茨の道を、悠々と歩いて卒業していった。
みんなには文句を言われていたけれど。
今はどうしているだろうか。
目的のためには、手段は選ばない。そして淡々と目的を果たして資格を取った。
あっぱれだとも、今は思う。
でも、やっぱり私は、みんなで悩んだり、考え抜いたり、ときには先生に抗議しにいったりと、熱くて、苦しさもあった学生時代があったからこそ、
今の私があるのだと、確信している。

🍃 このブログについて
子育て卒業後の“自分らしい毎日”をテーマに、看護・家族・猫・ポタリングなど、日々の小さな挑戦と気づきを綴っています。
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🩺 カテゴリー:看護学校体験記「私の再出発ノート」シリーズ
40代で看護学校に通い、看護師として再出発するまでの実体験をまとめています。
迷いや不安を抱えながらも、一歩を踏み出す勇気を描いたシリーズです。
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