📖精神科病棟で看護師として働く中での気づきや学びを、個人や施設が特定されないよう十分に配慮しながら綴るシリーズです
社会での「生きづらさ」を抱えて
精神科には、知的障害を持った若い子たちも入院してきます。
中でも軽度の知的障害を持った人は、複雑でなければ理解できることもたくさんあり、他者には、一見わからないことも多いため、社会の中で「できる」と思われてしまい、逆に生きづらさを抱えることも少なくありません。
まりさんとの出会い
そんな1人、まりさん(仮名)という18歳の女の子がいました。
事情があって両親とは生活できず、グループホームに入居していましたが、スタッフとの行き違いから暴れてしまって、怪我をさせてしまい、退去となり、入院してきました。
目のクリッとしたかわいらしい顔をした女の子。
IQから推定すると、精神年齢は6歳から9歳程度。でも、見た目は18歳だからそのギャップにずっと苦しんでいくのかもしれません。
「帰りたい」気持ちと自傷行為
まりさんは入院当初、毎日のように「帰りたい」と言っては看護室によく来て、カウンターに張りついたり、壁に頭を打ちつけて自傷したりしていました。
夜も眠れないのか、「眠れない」「薬が効かない」「帰りたい」と訴えたり、時には失禁してしまったり・・・。
担当ナースをはじめとして、スタッフが交代でお話を聞いたり、生活のサポートをしたりと看護に当たっていましたが、どうしても目立ってしまい、スタッフから注意されることも多かったと思います。
「どうして、私だけ怒られるの?」
「ねぇ、どうしてダメなの、あの子は怒られないのに、どうして私だけ怒られるの。」
まりさんは、よくそう聞いてきました。
実は、知的レベルに差がある患者さんたちの間では、なぜか患者さん同士で張り合ったり、時にはずるい駆け引きのようなことも起こります。
自分はスタッフにバレないように、他の人にお菓子をねだって、まりさんが真似をすると、スタッフに言いつけて注意させる。というような正直呆れてしまう場面もありました。
何かあると暴れる、という方法をとっていたまりさんをみていて、娘を思い出しました。
気に入らないこと、納得できないことがあっても、言葉で説明できないから暴れてしまっていた、あの頃の娘のことを。
私も、いつも最初は叱ってばかりだったな・・・。
言葉にできた「ごめんなさい」
まりさんは暴れて、隔離されることもしばしばありました。
でも、落ち着いている時に、
どうしたの。何か嫌なことがあったの。
と話しかけると、ちゃんと冷静に理由を言える。
「そうだったの。それは、嫌だったね。気がつかなかったよ。ごめんね。
だけどね、暴れたり、自分のことを傷つけてしまったら、わかってもらえなかったでしょう?
今度は、教えてもらえる?」
みなさんには、幼い頃に、「嫌だった」「つらかった」「痛かった」というマイナスの感情を持った時、親の元に走っていって、泣いたり、慰めたりしてもらった経験はないだろうか。
そうやって、受け止めてもらって、自分を慰める方法を編み出して人は生きているような気がしている。
この子は、きっとこういう体験が少なくて、感情のコントロールの仕方がわからないのかもしれない、と思った。
「ごめんなさい」
謝ることができた時、
朝ちゃんと起きて、ご飯を食べることができた時、
作業療法に行けた時、
どうして怒ってしまったのかを言えた時、
どんな小さなことでも「よくできたね、えらいね、がんばっているね」とチームで褒めるようにしていった。
そして、まりさんの変化
そして、少しずつ入院することになってしまった原因について一緒に振り返って考えていくうちに
「私、どうしてあんなことしちゃったのかな、ばかみたいって思う。」
という言葉が。
「きっと、つらかったんだと思うよ。でも、どうしていいか、あの時はわからなかったんだね。でも、今はそうやって思えるようになって、つらい時はどうしたらいいか、知ってるもんね?
それだけでも、入院した意味が少しはあったんじゃないかな。
あなたは、とてもいい子だよ。いつも、自分に素直で、嘘をついたりしない。そこが本当にいいところだと思ってるよ。」
そう声をかけると、まりさんは涙ぐんでこう言いました。
「ありがとう。わかってくれて、いつも優しくしてくれてありがとう。」
この言葉が、私の心に深く響きました。
精神科看護は魂のふれあい
人はみんな、わかってほしいと願っている。
精神科の看護は教科書通りにはいかないと思っている。
人間すべてが違うように、関わり方も試行錯誤を繰り返しながら、オリジナルができていく。
私は、これは「魂と魂のぶつかり合いだ」と感じています。
響く時もあれば、響かない時もあって、本当に、エネルギーがいる仕事です。
でも、たまにこんなふうに胸が熱くなる瞬間のあるこの仕事が、私は大好きです。

コメント