📖この記事は、私の再出発ノートシリーズです✨ 最初から読む方はこちらから👉41歳で看護学校へ
娘ほど歳の離れた現役生たち。わいわい仲良くしてる。私は少しおとなしく端っこの方にいよう。そう思っていた。
しかし、看護学校はそれを許さない。
なぜなら、連座制だから。
後になって、この“理不尽な出来事”が、
私にとって「チームで生きる力」を学ぶ最初の授業だったと気づくことになります。
⏰ 遅刻の常習犯が生んだ波紋|先生の「全員で考えなさい」
奔放な現役の女の子アミ(仮名)は遅刻の常習犯だった。遅刻は自分が悪いのだから、叱られればいい、と思っていたのだが。
先生が
「なぜ、アミさんは遅刻したのか、遅刻させないためにはどうしたらいいか、全員で考えなさい。今日の授業はなしです!」
と言って帰ってしまったのだ。
その子のために、全員が授業を受けられないとは理不尽だ、と腹が立った。
その子はトイレにこもって出てこない。「やめる」「帰る」と、泣いて叫んでいる。
その子の素行が良くならない限り、全員が、今後授業を受けられないことになったのだ。
なんだって…?
高校を卒業したんだから、時間を守って行動するのは当たり前のことだし、彼女のことでみんなが迷惑するなんて、考えられない。
不幸にも週番に当たった学生が前に出て、どうするべきかの話し合いを求めた。
💭 理不尽と向き合う教室
やめればいいのに。
最初は思っていたし、先生の意図もわからなかった。ただの意地悪じゃないか…と感じた。
「なんで私たちが?」「やめればいいのに」
重苦しい雰囲気が教室を覆っていた
でも、なんとか先生が納得する「答え」を出さなければ、全員が授業を受けられない・・・。
焦りや怒り、いろんな感情が渦巻いていた。
🤝 個人の問題を“チームの課題”として考える
長い話し合いの結果、私たちが出した答えは
トイレにこもっているアミを説得し、遅刻しないように気をつけることを誓ってもらうこと、さらに、みんなで声を掛け合って関係性を築いていくことだった。
この出来事をきっかけに、
「個人の問題は全員の問題として考える」という意識が芽生えた。
それまでの「自分のことは自分で」という考え方が、
少しずつ「みんなで動く」方向へと変わっていった。
💡 連帯責任から学んだ“チーム力”の本質
連座制は厳しい。
失敗は許されず、たった一人の行動が全員に影響する。
けれどその仕組みの中で、
私たちは少しずつ、「誰も置いていかない力」を身につけていった。
それは看護師として働くうえで欠かせない“チームの感覚”だった。
患者さんを支えるとき、誰かのミスや弱さを責めても意味がない。
どうすれば全体が動けるのか――それを考えるのが、チームの仕事なのだ。
とんでもない軍隊に入隊してしまった、と誰もが思った。
3年間のサバイバルの始まり、であった。
🩺 看護学校は“知識”と“チームで生きる力”を学ぶ場所
看護学校は、もちろん知識や技術を学ぶ場所。
でもそれ以上に、チームとして生きる力を学ぶ場所でもあった。
遅刻の常習犯の出来事をきっかけに、
私は「個人主義寄りの考え」から大きく転換した。
他人の問題を他人事にしない。
チーム全体で支える、という意識が芽生えた瞬間だった。
看護はチームで成り立つ。
その原点を、私は教室の中で学んだ。
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🍃 このブログについて
子育て卒業後の“自分らしい毎日”をテーマに、看護・家族・猫・ポタリングなど、日々の小さな挑戦と気づきを綴っています。
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🩺 カテゴリー:看護学校体験記「私の再出発ノート」シリーズ
40代で看護学校に通い、看護師として再出発するまでの実体験をまとめています。
迷いや不安を抱えながらも、一歩を踏み出す勇気を描いたシリーズです。
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