看護学校での授業は、想像していたよりずっと厳しく、そして不思議なものでした。
「どうして教えてくれないの?」と何度も思った。
けれど、答えのない時間こそが、私に“看護の心”を育ててくれたのだと、今は思います。
看護学校での”教えてくれない授業”の衝撃
看護学校に入って驚いたことは、先生に質問しても教えてもらえないこと。
今までの学生生活のなかで、わからないことがあれば、先生に聞くのが常識だった。
でも、ここでは、
「あなたはどう思うの?」
と問い返される。え?私…?わからないから、聞いているのに。
初めての授業での戸惑い、清拭の授業で知った“なぜ?”の壁
初めての清拭の技術の授業で、方法を教えてもらえるのだと思っていた。しかし、先生からは
「図書館に行っても、調べてもいいですから、自分たちでやってみてください。」
え?まったく素人の私たちに、とりあえずやってみて、なんて難しすぎる。
結局、いくら調べてもお湯の温度がわからなくて、何も始められないまま、どのグループも終わってしまった。
とりあえずの温度でやれば、「なぜ?根拠はあるの?」と突っ込まれてしまう。
学費を払っているのになぜ、教えてくれないの?
あの頃は不満と不安でいっぱいだった。
合格することばかり考えて本質を見失っていた
清拭の技術テストを前に、さらに問題が起こった。
清拭に使うお湯の温度は50度以上で準備する。タオルを絞ると温度が下がることを考えると、患者さんの体に触れる時に42度くらいの適温になるように調整する必要があるから・・・
温度がわかったのはいいけれど、50度の熱湯。素手で絞るのは難しいので手袋を使った。
しかし、ある先生が、
「体を拭かれるときに、手袋をされたらどんな気持ちがしますか?患者さんは不潔なんですか?」と問いかけた。
そう言われると、考えさせられる。
どんな気持ち?って・・・だけど、こんな熱いお湯に手を入れたら火傷しちゃうし。
あの時は、「どうしたら、合格できるか」だけを必死に考えていて、無理をして素手でタオルを絞って、手が真っ赤になって水膨れができたという学生もいた。私たちは、技術試験に合格することばかり考えていて、完全に看護という視点を見失っていた。
看護の心を育てる学び
今だったら、熱いタオルを手袋を使って絞って、素手で清拭をする方法を考えついたかな、と思うけど、当時の私たちには無理だった。
緊張の極限状態で、柔軟な発想をする余裕はなかった。笑
当時は、何か矛盾や問題が起こるたびに仲間と「どうしたら合格できるか」を必死に考えていただけだった。でも、その積み重ねが、今の私自身の看護観を形作っていることに、今更、驚いている。
今から考えると。
先生は、技術の前に、看護師として、人を看護する心を考えなさいと言いたかったのかな、と思う。
自分の仕事を優先して、(今は単位のことだけど)相手の気持ちを考えない、心のない看護師になってほしくなかったのかもしれない。
苦しんだ時間が育てたもの
苛立ちと不安を抱えながら過ごした時間は、確かに私の中に種をまいていました。
「なぜその方法なのか」「どうしてそうするのか」と問い続けることは、後に臨床で直面する複雑な場面で役立つ考え方の基盤になったのです。
合格するための工夫も、無駄ではありませんでした。悩みながら工夫した経験そのものが、看護観を形づくる糧になっていたと気づきました。
技術は練習すれば、後から必ず身についてくる。でも、人の気持ちを思いやる看護の心は習うものではなく、自分で育てていくもの。それは人それぞれの看護観に結びつくもので、ひとつの「正解」はありません。
あのとき先生があえて答えを与えなかったのは、きっとその看護観を自分で育てていくためだったのだと思います。
これからも、看護される側に立った心を大切にしながら、看護師として歩んでいきたいと思っています。
まとめ
看護学校で感じた苛立ちや不安。
合格ばかりを追いかけていた当時の私。
それでも、その時間があったからこそ、今の看護観につながりました。
「正解はない」けれど、悩んで考えること自体が、看護師として成長していく道なのだと今は思います。
🍃 このブログについて
子育て卒業後の“自分らしい毎日”をテーマに、看護・家族・猫・ポタリングなど、日々の小さな挑戦と気づきを綴っています。
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🩺 カテゴリー:看護学校体験記「私の再出発ノート」シリーズ
40代で看護学校に通い、看護師として再出発するまでの実体験をまとめています。
迷いや不安を抱えながらも、一歩を踏み出す勇気を描いたシリーズです。
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