終戦記念日に思う|祖父が語った戦争体験と家族の悲しみ

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今年も、暑い終戦記念日がやってきました。

80年前の戦争に静かに手を合わせ、不戦の誓いを改めて胸に刻む日だと思います。

私は戦争を体験していません。

けれども、戦争経験者である祖父から直接話を聞いた最後の世代です。

祖父は次男で、子どもの頃に鉄棒から落ちて腕を骨折し、少し曲がっていました。

兵隊検査は優良より少し下。徴兵が遅れたことが、命拾いにつながったのだろう、と本人は語っていました。

戦争末期、祖父は海軍歩兵として青森に赴きました。

しかしその頃にはすでに鉄はなく、飛行機も船もない。国外へ派兵されることもなく、終戦を迎えます。

過酷な戦場の話を、祖父はあまりしませんでした。

私が幼かったからなのか、あるいは意図的に避けたのか…。

「海でカニばっかり探してたよ。食べ物がなくてさ。俺は料理人だったから、上司に気に入られてたんだろうな。戦争は負けると思ってたよ。」

え? 当時の新聞やラジオでは「勝ってる」って伝えていたんじゃないの?

「食料は配給になって、それもどんどん少なくなっていった、でも、あるところにはたくさんあったんだよ。俺は料亭で働いてたから知ってたんだ。早いうちから、これは負けるな…って思ってたよ。」

私が見聞きしていたのは、テレビの映像から流れる「大勝利」のアナウンス。

当時の人々は情報を得られず、「勝つまで我慢」と信じ込んでいたのだと思っていました。

けれども、配給の減少や寺の鐘の徴収、身近な人の戦死…。

体験者だからこそ感じ取っていた敗戦の予兆があったのだと知りました。

祖父には兄がいました。

一度戦地に赴いたものの病気で帰還。しかし、真面目な人で、

「もう治ったから、もう一度行く。」

家族が必死に止めても聞き入れず、再び出征してそのまま帰らぬ人となりました。

「兄貴はマジメだったからな…俺もおふくろも、寝てればいい、行かなくていいって止めたんだけどな…」

曾祖母――二人の息子を戦地に送り、一人を失った母。

その胸の痛みを想像すると、息子を持つ今、なおさら胸が締めつけられます。

兄を失った祖父の喪失感も…。

きっと時代の雰囲気が、再出征させることになったのでしょう。

私の住む街は幸い、大規模な空襲も戦闘もなく、命を落とした人は他地域に比べ少なかったと思います。

それでも、こうした家族ごとの悲しい歴史は、静かに、確かに存在します。

大切な人を失う悲しみは、人種も国境も時代も超えて同じだと思う。

どんな大義名分を掲げても、戦争は戦争でしかない。

世界中の戦争が一日も早く終結し、平和な日々が訪れますように・・・。

今日も読んでくださって、本当にありがとうございます。コメントくださったら、嬉しいです。

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